豊島情報 TOP
________

 豊島の歴史

 豊島の産物

 イベント情報

■ 施設の見学

 アクセス

________

リンク

廃棄物対策豊島住民会議HP

豊島問題HP
(県事業ページ)

TESHIMADAS
(豊島ネットHP)

直島町HP

島ネットHP

瀬戸内オリーブ基金HP

________

その他リンク

早稲田大学永田研究室HP

環境総合研究センターHP

環境監視研究所

 

 

     

  • 無時時代の出土品から、紀元前25000年にはすでに人が活動していたことがわかる。

  • 縄文時代(上記)の貝塚から出土しているヤマトシジミからこの頃の瀬戸内海が陸続きであったことがうかがえる。

  • 豊島の最南端礼田崎の貝塚はおよそ9000年前のもので、西日本最古のものであることが確認されている。

  • 複数の古墳群から、3世紀から7世紀にかけて大和朝廷の勢力範囲であったことがわかる。

  • 豊島石は平安時代に端を発するといわれる。

  • 江戸時代には、瀬戸内海交易とともに栄えた。

  • 明治の大合併により家浦・唐櫃・甲生の三村が豊島村となる。

     
  • 1912年(大正元)年、豊島村の年間予算は、11,297円といわれ、この年の石材業の売り上げが34,000円、米が32,000円、芋が3,000円、イカが1,400円であったといわれている。豊かな瀬戸内海に浮かぶ、「豊かな島」の暮らしぶりが思い浮ぶ。

  • 戦前の豊島の人口は、大正9年で約2,700人、終戦後の疎開で4,000人近くまで膨れ上がった人口は、その後減少の一途をたどる。

  • 1955(昭和30)年、豊島村は七ヶ町村の合併により、現在の土庄町豊島になる。このころから、瀬戸内海の環境の悪化が顕著となり、自然と共存する島の生活、文化、産業、経済の衰退が始まる。

  • 1975(昭和50)年、都会から押し寄せるゴミに出会い、反対運動を始める。しかし、16年後には「わが国最大の有害産業廃棄物不法投棄事件」として摘発され、全国に報道される。この事件によって豊島は「ゴミの島」「毒の島」として全国に知られるようになる。

     

  • 2000年6月、県との調停が成立、廃棄物を全て島外に出すことが決まる。

  • 2004年、処分地に一株の山ツツジが咲く、現場北海岸にシオマネキがもどるなど、自然の回復が見られ始める。

  • 2006年にはアマモにイカの卵がかえってくる。現在は毎年開かれる島の学校、アースデイなどのイベントや、処分地の案内などを通して、豊島問題から得られた教訓を世に訴えかけている。また、オリーブの植樹など、自然と産業の復活に力を注いでいる。

         

 

詳しい情報はこちらにあります

    →   ・豊島住民会議HP  ・島ネットHP